基本はアルコールが先行して歴史を作りましたので、アルコール関連の事に関して述べます。

日本にまだセルフヘルプグループ(自助グループ)が誕生していなかった頃に、禁酒会・禁酒同盟という団体がありました。ググってみると明治8年横浜の船の中で「禁酒会」(第一次横浜禁酒会)なるものが誕生していますが、断酒会に残る史実によると、その数年前に北海道は札幌の札幌農学校(現北海道大学)の中で、リベラリストで禁酒家としても高名なクラーク博士を慕った学生達が集まって、禁酒会を開いています。学生達は輪になり酒瓶を地面に投げつけて割り、シュプレキコールを上げたそうです。このシュプレキコールが一説には今の断酒会の「連鎖握手」と繋がっているとか。この会はすぐになくなっていて、横浜の禁酒会になるのですが。現在も存続しています。アルコール基本法の制定にかかわったような情報もあります。

この禁酒会の中に「東京禁酒会」というのが出来ました。その中に白菊禁酒婦人会という家族の会ができ、そこにアメリカで発祥したAA手法が導入されたのです。基本禁酒同盟は禁酒家と言われる思想(この世の中に酒は必要のないもの、排除するもの)を持った人達で運営されていました。つまりピア(仲間・当事者等)ではなかったのです。

AAはアメリカが発祥で、ボブとビルの二人の出会いから始まり、12のステップと12の伝統を基本とし、ビックブックや今日を新たになどの指導書を使って回復をしていく手法を取ります。全世界(お酒を排除している宗教圏、例えばイスラム教圏にはありませんが)に広がっています。これらの手法を開発したビル・WTIME誌の20世紀の100人にも選ばれています。日本にはそういう偉人はいません。

私の記憶によると日本禁酒同盟の中でも、文学博士で理事でもあった山室武甫氏が勉強にアメリカのエール大学に行っています。

余談ですが、日本の断酒会もそれが発祥した後、一時期ニューヨークのAA支部になろうとしています。これは、その方が自助グループとしての活動が出来るからとの事で申請しましたが、却下されています。

で、禁酒同盟としてこのAA手法(主に12のステップと12の伝統)を広めようとして各地で講演をしていました。ある日10代目の理事長である小塩完次氏が高知県でこのAA手法の講演をしていました。その講演を聞いていたのが、松村春繁さんと主治医の下司孝麿先生です。その講演後松村さんが「ここでこのまま散開してしまうのは惜しい、新たな会を作ろう」と呼びかけたのが断酒会創生の始まりでした。昭和259月の事です、高知断酒新生会の発足は同年11月の事となりました。

全日本断酒連盟のホームページにはこの発足は2名、松村春繁と小原寿夫となっていますが、小林哲夫(松村春繁さんが全断連理事長だった時の副理事長)さんの記録によると、その他に池渕忠雄さんと浜田稲実さんの計4名が発足メンバーだったようです。

こうして東京と高知が手を結んで全日本断酒連盟が出来ました。初代理事長はもちろん松村春繁さんです。この松村さんは依存症界の巨星と言われた方ですが、たしか高知断酒新生会はその拠点を、下司病院の中に持っていましたが、まだ禁酒同盟と繋がりがある時(断酒会は禁酒同盟ともAAとも一線を引いている存在です)に、禁酒同盟は酒害の相談業務もやっていました、その数ある相談のお手紙の中から禁酒同盟にはじかれたお手紙を拾い上げて、率先してそのお手紙の投稿者の方の元へ相談に行っています。完全なボランティア活動です。そうやって各地を巡り、断酒会の種を植えていきました。余分な事ですが二代目は東京の大野徹さんです、この方東京大学出で大手企業の幹部の役職をされていた方です。三代目は井原利さんで、島根の方だと記憶していますが、泣きの井原と言われてて、今の例会で泣きながら語る方の方向付けをした方で、「体験談を聞いて泣く人はいるが、笑う人は一人もいない」という教えを実践された方だったようです。

以上これが日本におけるセルフヘルプグループの起源です。

もっと詳しくお知りになりたい方は、全日本断酒連盟のホームページや松村春繁・下司孝麿・下司孝之・小林哲夫等で検索してみて下さい。



日本におけるセルフヘルプグループの違い

12のステップグループ

AA(アルコホーリック・アノニマス)NA(ナルコホーリック・アノニマス)GA(ギャンブラーズ・アノニマス)に代表されるグループです。発祥はUSA、アメリカです。AAが一番古く、アルコールに特化したグループです、昔はNA(薬物)・GA(ギャンブル)メンバーは入れませんでしたが、今はグループの垣根はないようです。

基本匿名性(アノニマス)制を重視します。元々はオックスフォード運動という宗教活動から発生しています。AA創設者の一人のビル・Wがその運動に参加していたからです。12のステップはオックスフォード運動にあった6つのステップの発展形だと言われています。

12のステップ・12の伝統に関しては「AAゼネラルサービス」のホームページを参照願います。リンク先は次のページに記載されています。

ただ、ステップ1 私たちはアルコールに対し無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。は、全世界にあるセルフヘルプグループの最初は必ずこの「認める」です、回復の最初はここから始まります。どのグループ・団体も一緒です。

で、12のステップグループの特徴は、献金性です、さらに匿名性があります。本名は名乗りません、アノニマスネームと言って、ニックネームです。組織化されていません(今は組織だというメンバーの方もおられますが)。ただしこのグループを支えている組織があります。ゼネラルオフィスとかゼネラルサービスとか言われるこちらは組織です。私が思うに昔AAが作られてその経済的基盤を支えたのが、物販物おもに書物です、「アルコーホルアノニマス」はアメリカでベストセラーになっていますし、ロックフェラー財団がバックに付きましたので、それがあるからAAの活動は可能なのだと思います。それらを支えるのが先述しました組織です。多分ですがこれらを構築したのはマーテイマン女子の貢献度が効いているのかと思います。因みにこのマーテインマン女子はAAから排除されています。本名を明かしたからです。それほどアメリカでは匿名性が重要視されています。日本では近年は本名を名乗る方も出てきているようですが、日本のAAではアノニマスでも本名でもどちらでもいいそうです。

回復はステップを踏んで回復します。最後は霊的(スピリチュアル)な体験をし、今までステップしてきたことを他のアルコホーリックに伝えるという事で終わります。これは、多分ビルが考えたものではなく。ある精神学者の助言に端を発していると思われます。ビルはまだ酒に囚われているときに、よくスイスに行ったらしいです。スイスには分析心理学を構築したことで有名なカール・グスタフ・ユング博士がいました。ビルはユング博士に聞いたそうです「どうしたらお酒を止められるでしょうか」と、ユング博士は「スピリチュアルな体験をしなさい」と教えたという事です。そこらあたりからこのステップ12は来ているかと思います。日本人にはあまりなじみのない事、つまり霊ですが、アメリカのベティフォードセンターという有名な依存症の回復施設があります。元アメリカ大統領のフォード大統領夫人が作った施設です。ベティ夫人はアルコール依存症でした。そのセンターの売りが、スピリチアルプログラムです。もしご興味あり英語ができるのでしたら、このセンターのホームぺージを検索してみて下さい。

私の調べたところによると、このスピリチアルというのは超常現象のようなものではなく、断酒というものを突き詰めた先にある精神的な状態の事を言うようです。ユング博士とビルWは面識がなく、ユング博士の患者の一人がスピリチアルのことを言われて、それをビルWに伝えたという説があります。この患者さんはビルWの断酒を促した方だとも言われているようです。ただし、ビルとユング博士は手紙のやり取りはしていたようです。

これから枝分かれをしたのがNAGAなどです、この他にも依存の種類によって色々なアノニマスグループがあります。形態や回復の手段はみな一緒です。ミーティングはクローズとオープンがあり、オープンは誰でも参加できますが、クローズは当事者のみです当事者であれば新しい方も自由に参加できます。クローズはステップミーティング・ビックブックミーティング等色々な種類があります。あとメンバーにスポンサーがつきます。このスポンサーとは相談役や世話役・支援者という意味です。一人の場合もありますし二人の場合もあります。これが12のステップグループの特徴です。

断酒会

その歴史的なことは上記に記載していますので、ここではそのメカニズムや構成についてのみとしておきます。

断酒会はその成り立ちはAAを参考にしています。断酒会の断酒の誓いの原型はAA12のステップから来ているように。しかしAAはもともとキリスト教の福音系の運動から来ているように、とても宗教色が強い事が感じられます。それが日本の土壌にはなじまないように思えるといって作られた団体です。基本記名性・組織性・会費制を主にしています。断酒会ではミーティングの事を例会と言います。例会は体験談が主です。さらにみんながみんなを支えると意味合いで、12のステップグループの様なスポンサーシップ制度はありません。但し、何かの文献に記載されていますが、松村さんは「断酒会はその活動をAAとは異としている」と言っています。断酒会は完全にAAからは独立した団体となっています。

組織化しているので、各地域にある断酒会が集まって市連県連全断連となっています。

断酒会にもステップの指標はあります指針と規範というものがありますし、十牛図という禅宗の修行の仕方を手本にしたステップですが、今これを指導できる人これをよく理解している人はほとんどいません。医療機関で指導しているところもあるようですが、結構難解なので把握している方は極端に少ないです。

結局は体験談に頼らざるを得ない状況です。「語るは最高の治療なり」断酒会を創設した松村春繁さんの言葉ですが、とにかくカタルシス、心の浄化です。

断酒会では断酒歴の長い人が先生ではない、新しい人こそ先生である、新しい人が入ってこなければ断酒会は消滅するといわれています。。今、急激に会員数が減っており、各単会では1人や2人までになり存続の危機が迫っている会がありますし、沢山の会が閉会に陥っています。

断酒会は行政とも繋がっていて、アルコール健康障害対策基本法の策定にも尽力しました。12のステップグループにはこの活動はありません。何者にも囚われない自由な活動との理念の下、こういう繋がりはありません。せいぜい医療機関へのスピーカ活動です。

【昔 話】 世界の断酒会

断酒会は日本で生まれ日本で育ちました。外国には無いと思われています。確かに「断酒会」という表記のものはありません。過去に韓国に断酒例会を持っていこうとしたことがありましたが、韓国のお国事情(国からの政策で集団の集会にあたるものは規制される)でお釈迦になりました。しかしかなり昔ですがアルコール関係の施設・団体と連携を取ろうとしたことがありました。

ヨーロッパにあるその機関の名をスウェーデン語表記で「レンカナ」ドイツ語表記で「レンカルナ」といいます。国家機関です今はもしかしたら保健機構等の管轄になっているかもしれませんが、レンカナでワード検索しても出てきません。職員は国家公務員と民間人によって構成されます。バッジによって見分けます。スウェーデン発祥ですが北欧圏の他にフランス・ドイツ・イギリスにあると聞いています。ここは治療回復機関ですのでベットや保護室もあり、医療者(ドクターやナース)が定期的に常駐します。これはイタリアのトリエステに似ています。スウェーデンのアルコール対策は高橋聡美先生がおっしゃっている「システム・ボアケット」がありますが。こちらは施設です。

こことの連携の始まりは団体同士ではありません。都市間交流です。スウェーデンのヨーテボリ市と北海道の室蘭市の交流で、その仲立ちをしたのは当時ヨーテボリ市から室蘭市へキリスト教の布教に来ていた宣教師さんです。それに当時の室蘭断酒会(北海道初の断酒会)が乗っかりました。それがいつ全国規模(全断連)になったのかは知りません。このつながりが出来て、日本からは医療者・断酒会員等が研修・見学に出かけています。さらに、日本から長期のホームステイをしてレンカナの業務に付いた会員もいました。このホームステイ先の奥さんはとても優しい方だったようです。

そのような繋がりが出来、その後アルコールのオリンピック(アルリンピック)構想が持ち上がりました。一度実行したようですが詳細は知りません。全日本断連盟主催の全国大会(札幌)にレンカナの代表一行を呼んだこともあったようです。しかしその後は繋がり切れました。つまり全断連でそのような活動を切ってしまったか、それを担当するだけの技量を持った幹部がいなくなったか定かではありませんが。

もし今もこのような連携がありましたら、日本のアルコール関連の政策運動は10年は先に行っていた事でしょう。今これを知っている断酒会員はかなりの高齢者だけです。この方たちが亡くなったらこの史実を伝えるものがいなくなってしまいます。

これは、後に続く人たちへの財産だと思いますのでここに記載しました。